Written by Unan

一人が好き。帰属意識がない? もしかしたら「〇〇」かも…

SOLITARY

こんにちは、うなんです。

あなたは、「自分には帰属意識がないな」と感じることがありますか?

帰属意識とは、あるグループや集団に属しているという個人の意識のことを言います。

つまり、「自分はこのグループの一員だ」と感じる意識のことですね。

誰しも、家族から始まり、学生の頃のクラスや、社会人になれば会社など、人は基本的に社会で何かしらの集団に属していることが多いです。

私は、そういった「集団に属する」ということに対して、ある種の違和感を常に抱えていました。

一言で言うと、帰属意識がないのです。

それが、「ソリタリー」であるがゆえだ、と気がついたのはつい最近のことで、それまでは自分がおかしいのかと思っていました。

同じように、帰属意識のなさが原因で、「人とは違う、自分はおかしいのだろうか」と思っている人がいたら、もしかすると私と同じように、ソリタリーであるという可能性があるかもしれません。

これはあくまで可能性があるという話なので、帰属意識のない人の中の「ごく一部」がソリタリーであるというだけで、「全然違うよ」と思う方も多いことは想定されます。

しかし、仮に「これだ!」と当てはまる人が1%でもいれば、ソリタリーを認知してもらえる第一歩になるかと思い、今回は、帰属意識のなさとソリタリーを関連づけて紹介しようと思います。

私は、ソリタリーという言葉と概念を知って、溜飲が下がる思いをしたので、もし同じくモヤモヤとしている方がいれば、この記事が自己理解のきっかけになればうれしいです。

帰属意識がない人=悪?


私は子どもの頃から、たとえば班行動をしたり、クラスみんなで何か活動する時に、その一員であるといった感覚が持てませんでした。

男女で分けられることさえ、自分がどちらかに振り分けられるということが不思議というか、自分がどこかのグループにいたり、名簿に存在しているというのが架空の出来事のような感覚です。

グループ内の誰かの功績を自分のことのようによろこんだり、誰かの過ちに自分も同じくらい責任を感じたりすることもほとんどありません。

個人でいれば自責思考が強く働くのに、集団になると全くなくなってしまいます。

大人になってもその感覚は変わらず、会社に就職しても、精神的に全くコミットできません。

本当は、どこにも属さず、何事も一人でやったほうが早くてうまくいくし、そういうやり方のほうが私には向いているのです。

みんなと協力して何かを作り上げるのが楽しいとか、一人だと寂しいという感情も、特にありません。

そして、「自分が所属している集団のために、自分もその一員としてがんばる」という感覚もありませんでした。

仕事でも遊びでも、自分一人で全てが完結するような作業なら楽しくてやる気も出るのですが、グループに入った途端に自分の存在が消えてしまいます。

一人でいればたくさん湧き上がってくるアイデアも、他人に干渉すると思うとたちまち無になるのです。

すると、グループ内での私はやる気も意見もなさそうに黙っていることになるので、側から見れば、「他人と関わろうともしない、協調性のない子」に見えるのでしょう。

社会ではそれを良しとはされませんし、実際に良くない評価されることもあったので、「これは悪いことだ」という意識が自分の中にうっすらと植え付けられていきました。

しかし、いくら悪いことだと考えても、自分の感覚が変わるわけではありません。

集団ではなるべく他人に無関心であることを悟られないように振る舞い、せめて周りにはあまり自分の本心を言わないようにしようと気をつけながら、生きていました。

ソリタリーを知り、帰属意識のなさを認める


大人になり、私は周りの同級生たちと同じように、就職をして会社員になりました。

嫌だし向いていないだろうと思いながらも、一人でやっていくためのスキルも才能もないし、会社員という道以外の選択肢をその時は考えつかなかったのです。

それでもやっぱり、「会社のためにがんばる」ということがどうしても考えられなくて、仕事も面白いとは思えず、この先何十年も会社員を続けるなんて無理だと思い、数年後に会社を辞めました。

そんなとき、「ソリタリー」という言葉があることを知りました。

ソリタリーとは、一人を好む人が持つ性質のことです。

他人に干渉したり、他人から干渉されたりすることを嫌い、孤独でいることを大切にするのが、その大きな特徴です。

自分一人で考えて行動をすることが得意で、他人を避けて自ら一人でいることを選びます。

私は、このような特徴を知った時、「これだ」と思いました。

つまり、自分自身の「個」の状態を重んじるがゆえに、他者との関わりや集団にいるという意識がどうしても馴染まなかったのだと、自らを分析しました。

それは、自分は社会不適合なのかもしれないと思い続ける後ろめたさから、解放された瞬間でした。

帰属意識のない人は、個としての力を持つ可能性を持っている


ソリタリーという自分の特性を自覚して以来、それを認めて、生かすことに目を向けられるようになりました。

これまで「帰属意識のなさ=自分の欠点」として、どうにか隠そうとしたり矯正しようとしたりして、結局どうにもならずに自己否定につながっていたことが、自分の視野をひどく狭めているということに気がついたのです。

確かに、集団行動が必須の社会で生きていくには、これが「生きづらさ」というハンデになるかもしれませんが、それなら生きる場所を変えればいいのだ、と個人で活動している今はそう思います。

会社に就職しなければ、生きていけないわけではありません。
多くの友達のグループに属していなければ、幸せになれないわけでもありません。

「社会のレールから外れる」といった表現がありますが、外れてみればこれまで見えなかった花畑が広がっているかもしれないですし、ソリタリーの人は特にその可能性を持っていると感じています。

「レールに沿っていくのが普通だ」という固定観念があると、外れることにやっぱり恐怖はありますが、そのまま我慢して自分を押し殺していくのも人生、外れて自由な世界を見るのも人生です。
あなたはどんな人生を歩みたいですか?

もし、帰属意識のなさによる生きづらさを感じていて、今ソリタリーという一つの特性の可能性に気がついた、という方が一人でもいれば、この記事が視野を広げて自分を知るきっかけに少しでもなれていればいいな、と思います。

もし、「自分もソリタリーかも?」と思ったら、こちらの記事も読んでみてください。
→【診断】一人が好きな「ソリタリー」の特徴10選【チェックリスト】

今、生きづらさを感じていても、自分が少数派でも、生きる場所次第で人生は変わります。

変えられるのは自分自身なので、世間の当たり前や常識にとらわれずに、ぜひ広い視野で考えて、幸せを感じられる場所を見つけてくださいね。

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